~ sleeping lion ~
日向小次郎は焦っていた。人生最大の、とまでは言わないが、滅多にないピンチではあった。そもそもどうしてこんな事になったのか・・・・。
そうだ、あいつが悪い。若島津のバカ野郎・・っ。 あいつが一緒に来ようとしなかったから・・・!
完全な八つ当たりではあったが、そんなことも気にしてられないほど日向は追い詰められていた。
とりあえず、気づかれる訳にはいかねえな・・・
日向は息をつめて、積まれたマットレスの陰に うずくまっていた。そこは薄暗くて黴臭い体育倉庫の中で、決して居心地のいい所ではない。けれども、日向には今出ていく訳にはいかない理由があった。
「あ・・・。ちょっと、駄目だよ・・。どこだと思ってんの」
「だって先輩は自宅で、俺は寮で、こんなところでもなきゃ、こんなことできないじゃないか」
「そんなの、しょうがないだろ・・・っ。・・んっ」
「先輩、好きだ、好き・・・」
つい先ほどから始まってしまった冗談のようなラブシーン。今は昼日中で、ここは学校の敷地内ということを考えれば、いい加減にしろ・・・っと思う日向の方が当然で、しかも東邦学園が男子校ということを踏まえれば、その行為は完全に日向の常識を超えていた。
「ほんと、ダメだって・・。離せってば」
「大丈夫だよ、誰も来ないよ・・・」
日向自身には女子と付き合った経験もなく、勿論男子ともある訳が無かったが、時折漏れ聞こえる吐息や衣擦れの音から、どんなことをしているのかは想像がつく。日向にしてみれば迷惑なことこのうえ無いが、図らずも盗み聞きをしているかのようで、それもまた居心地の悪さを助長していた。
「ぅん・・。あ・・もう、昼休み終わっちゃうからぁ」
「先輩・・・今度、部活がない休みの日に外泊届出すから・・・・ね?いい」
日向は両手で頭を抱えて心の中で叫ぶ。
俺が悪いのか? でも、俺が先にいたところにお前らが入ってきたんじゃねえか!
実際にその通りだった。
その日の昼休み、さっさと食事を終えた日向は、若島津と一緒にサッカー部の部室へ向かった。いつもなら自席で寝ているか、反町あたりが遊びにくるか、宿題を片付けるかなのだが、今日は今後の練習試合の予定をどう組むかということで、サッカー部のマネージャである3年生の松岡に呼び出されていた。昨年の夏のインターハイと冬の選手権を連覇した東邦学園高等部サッカー部には、全国から練習試合の
申し込みがひっきりなしに来ている。日向たち選手も最良の練習は試合だと思っているので、できるだけスケジュールを調整して練習試合を組むつもりではあるが、とはいえ相手は選ぶ必要があった。
とりあえず関東近郊で日向たちから見てもあたり甲斐があるところ・・・を数校選び、監督の了承を得たうえで松岡が相手校と日程を調整することにして、その場は解散した。
「ウチの1年生だけでチーム組んで、当たらせてみたいんですけど。できれば向こうはレギュラーで」
「OK。調整してみよう。・・・でも、あちらさんの目的は君だということを忘れないでくれよ。日向」
「分かってます・・・あ」
部室のあるクラブハウスから校舎に戻る途中で、校庭の隅、敷地の内外を区切るフェンスの際にサッカーボールが一つ落ちているのに日向は気がついた。
日向が走って行って拾ってみると、それはサッカー部のものではなく、体育の授業で使われているものだった。てっきりサッカー部のボールだと思い、部室に戻って片付けてくるつもりでいた日向は、離れた場所に立ったままの松岡と若島津に声を大きくして呼びかけた。
「これ、部のじゃなかった。どうするかな」
「そのままそこに放っておけばいいんじゃないですか?この後の授業でどっか使うかもしれないし」
「体育用の倉庫まで行くのはちょっと面倒だね」
体育用の倉庫に行くには、部室より更に向こうまで行かなくてはならない。走ったら大した距離ではないが、面倒、というのも確かだ。
だが、若島津や松岡にはそう言われたものの、日向には一度手に持ったサッカーボールを、はいそうですか、と投げ捨てることはできなかった。
日向小次郎は亡くなった父親から常々『道具を大事にしない子は、それがスポーツであっても習い事であっても、決して上達しないものなんだよ』と言われて育ってきた。自分でも父親の言う通りだと思っているし、何より、ブラジルにいる誰かのように『ボールは友達』とまでは言わないが、サッカーというスポーツそのものを日向はとてもリスペクトしていた。
「ちょっと行って、しまってこようぜ。若島津。・・・先輩、失礼します」
当然若島津もついてくるものと思い、松岡に対して丁寧に辞去の挨拶をした日向だったが、若島津は「日向さん、ゴメン。俺、今日は日直で職員室寄ってかなくちゃいけないから、先行くわ」と松岡と一緒に校舎に戻ってしまった。
そうして、仕方なく一人でボール片手にこの倉庫に来たのが、つい先程のことだった。
「もう本当に行くよ・・・。夜、電話するからね」
一人が倉庫から出て行く気配があった。もう一人は時間差で出て行くのかまだ残っていたものの、すぐ近くで不健全(と日向は思っている)な行為が繰り広げられることもなくなり、日向はホっとした。その安心がいけなかったのかもしれない。
ほう、と静かに息を吐いた途端、目の前に一匹の蜘蛛が降りてきた。日向は声こそ出さずに済んだものの、しゃがんだままあとずさってしまい、後ろにある跳び箱にドン、と背中をぶつけてしまった。
そうそう他人に弱みを見せない日向の弱点の一つに、虫、というものがある。若島津などには「田舎に育って何で虫が苦手になるのか」と笑われるが、こればかりは原始的な恐怖を感じてしまうので対処のしようがない。しまった・・・と思った時には既に遅く、残っていたもう一人の人物が日向の存在に気がついたようだった。俄かに空気がピリピリと緊張したものになり、相手がゆっくりとバスケットボールの籠とマットを回り込んで、跳び箱の裏まで進んでくるのを感じた。
「お前・・・」
果たして日向を認めた相手は、それだけを口にすると、呆然としたように立ち尽くした。どんな人間が隠れていると想像していたのか分からないが、まさか東邦学園で最も有名な生徒でもある、日向小次郎がいるとは思わなかったのだろう。
一方、日向も相手の姿を認めて、同じように目を丸くしている。
それは、日向と同じ2年生の、野球部のエースである久保亮輔だった。やはり日向と同じように松本香が連れてきた選手で、高校から東邦学園に編入している。1年生から当然のようにレギュラーを務め、先に行われた春の選抜で東邦学園がベスト4まで勝ち進む原動力となった選手だった。
「・・・日向かよ。何してんだよ、こんなところで」
「・・・何してる、ってのはこっちのセリフだよ。・・・・言っとくけど、盗み聞きしてた訳じゃねえからな。俺が先に来てたのをお前らが知らずに、勝手に始めただけなんだからな。大体お前がさっきのもう一人と一緒にさっさと出てってくれりゃ、俺だってお前に気がつかずに済んだのによ」
決まり悪さも手伝って日向が一気にそこまで言うと、さすがに相手も『こんな所で』何をしていたのかに気がついたのか、少し顔を赤らめて「悪かった」と謝った。
「別に、謝ることはねえけどよ。・・・でもよ、大体、学校ン中で何してんだよ。場所くらい選べよな」
「・・・いや、返す言葉も無いんだけど・・・って、ところで俺の相手の人、見た?」
「見てねえよ。誰か知りたいなんて思わねえから安心しろ」
「良かったぁ~」
息を大きく吐いてしゃがみ込む久保を横目に、ようやく日向は立ち上がり、制服についた土ぼこりを払った。久保はまだ蹲ったままで「ホント、良かったぁ・・」と呟いている。日向に気がついて、よっぽど驚いたのだろう。久保の恋愛は日向には理解できない種類のものだったが、相手のことを思いやる態度は好ましく思えた。
「・・・俺も、すぐに出ていければ良かったんだけどよ」
日向は、本当に隠れるつもりやコソコソするつもりは全く無かったのだ。
ボールを放り込んだらすぐに出て行くつもりだったのに、外から「痛い・・離せってば」と嫌がっているような声が聞こえて、小柄な人影が、大きい人影に引きずられるように倉庫に連れ込まれるのを見た。暴力を振るわれているのかと思い、場合によっては助けなければ、と様子を見ていただけなのだ。
・・・なのに、こんな目に合うとは・・・と、日向が少し恨みがましく、アーモンド型の切れ長の大きな目で久保を睨みつける。それは若島津や反町が見たら「久保になんか見せるのは勿体ない」と言いそうなくらい、仄かに赤く染まった頬と相まって実は可愛らしいものだったが、久保は「本当にごめん」と素直に謝った。
「・・・でも、日向で良かったよ。見られたのが」
だが、続いて久保から発せられたその一言に、日向は首を傾げる。
「何が?」
「だって、日向なら分かってくれるだろう?」
「・・・・何を?」
「俺たちのこと。だって、同じだもんな」
「・・・・」
さっぱり何を言われているのか分からずに訝しげに眉間にしわを寄せて自分を見上げる日向に、久保は甲子園のマウンドで全国の奥方や少女たちを虜にした爽やかな笑顔を見せた。
「若島津とお前も、つきあっているんだろ? そういう噂を聞いてるけど」
久保の発した言葉が最初はピンと来ずに、日向は??マークをその顔いっぱいに浮かべていたが、ワカシマヅトツキアッテイル・・・と何度か頭の中で反芻するうちに、相手が何を言わんとしているのかを理解してしまい、その瞬間に頭が真っ白になった。
・・・・ツキアッテイル??俺と?若島津が??・・・・・・・そういう、意味で??
お前と一緒にするな・・っと思い、ついで顔を真っ赤にした日向の脳みその中を、今度は「噂を聞いている」という言葉が駆け巡る。
陰で、誰かがそんな風に言っているってことか・・・?畜生ッ!
青くなったり赤くなったりと目まぐるしく変わる日向の表情を見ているうちに、久保も不安になったのか、
「え・・・。もしかして、違ったのか?若島津じゃなかった?」
と更に見当違いなことを聞いてきた。そして。
「あ!そうか、あの人だろ。お前と若島津と三角関係って噂されていた、3年生の。・・・・・ホラ、サッカー部の前のキャプテン!!」
ぷちん。
日向の中で何かが・・・神経なのか、堪忍袋の緒なのか、いずれか定かではないが切れる音がして・・・・
一瞬遅れて、日向の怒号と、何かが激しく破壊される物音が響き渡った 。
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